子宮筋腫摘出手術(子宮全摘)を決意するまでと手術を受けるまでの病院通い・病院選び

子宮筋腫・卵巣嚢腫

子宮筋腫により子宮全摘の手術を受けたのは40代後半のことです。
良性の腫瘍のため、手術する・しないは自分の選択だったので、ものすごく悩みました。

子宮筋腫発覚から10年。。。
子宮筋腫による様々な悩み・困りごとが増え、貧血悪化で日常生活が送れなくなり、我慢の限界を超え、ようやく手術を決意しました。
女性のシンボルである子宮でなかったら、もっと早く決意できていたと思います。

子宮全摘を決めるまでにいくつもの病院にお世話になりました。
手術を受けるとなると、病院選びはより一層大切になると思います。
信頼のおける・納得のいく病院にお世話になりたいものです。

今回は、子宮筋腫が発覚し、子宮全摘の決意と手術を受けるまでの病院とのかかわりについて書いていきます。

子宮筋腫発覚から手術まで10年

子宮筋腫が発覚してから手術を受けるまでの10年間、たくさんの病院に行きました。

自分都合で通わなくなったり、不安感が出て足が遠のいてしまったり、セカンドオピニオンを求めたり。。。
合計6か所の病院にお世話になりました。

申し訳ない思いと恥ずかしい気持ちがありますが、どんな状況で・どんな気持ちで病院を選んだのか、病院に通っていたのかを書いていきます。

病院⓪・子宮筋腫が発覚するまで

子供が小学校低学年の頃、原因不明の手の痺れが続くようになりました。
いくつもの整形外科を受診しても原因が分からず、骨などに異常もないため治療のしようもないとのこと。

手の痺れと痛み

次第に家事が出来ないほどの痺れと痛みに困るようになりました。

洗濯物を干すピンチも持てず困る日々。。。

ある日、子供が幼稚園時代に通っていて感じの良かったクリニックを思い出し、藁をもすがる気持ちで受診しました。
そのクリニックは内科・胃腸科・外科が診療科目でしたが、ちゃんと診てもらえました。

診察後の先生との雑談で、「貧血」について指摘されました。
過去にもこのクリニックで貧血と言われていたようです。
私は全く覚えておらず、過多月経だった学生の頃も、妊娠・出産でも貧血と診断されたことがなかったので、とても驚きました。

血液検査をすることになり、結果が出るまで1週間お待ちくださいと言われた翌日のこと。

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病院

「検査の結果が良くないので、すぐに来てください」

朝一番、その病院から電話がありました。

驚いてその日に受診。
貧血の値が良くないので、何か大きな病気が潜んでいるかもしれないので早めに受診するようにと、大きな病院への紹介状を貰い、翌日の予約を入れていただきました。(病院・①になります)

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E.H.

木曜日・受診→血液検査(1週間後に再度受診予定)
金曜日の朝・病院から電話→すぐに受診
土曜日・紹介先の病院・①を予約

子宮筋腫発覚直後に意識喪失

紹介された大きな病院・①を受診したところ、子宮筋腫が見つかりました。

大きな病気だったらと不安でしたが、子宮筋腫は良性の腫瘍なのでそんなに怖がることはない病気です。
手のトラブルは、子宮筋腫による過多月経で貧血になっていて血液(酸素)が行き渡っていないために起こっているのだろうと言われました。

翌日から連休のため旅行を予定しており、土曜日の夜から出掛けたのですが、旅行先で意識を失って倒れ救急車で近くの日赤病院に運ばれました。
歯を含め何か所か骨折し、傷口は10針縫いました。。。

その時の検査でヘモグロビン値(Hb) 5g/dl
看護師さんたちに驚かれるほどの数値でした。

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E.H.

旅行先で夜、意識喪失・大怪我
当たりどころが悪ければ今こうして生きていないかもと。。。
怪我とヘモグロビン値・ダブルでビックリしました。

6か所の病院通い

翌日帰宅し、病院通いが始まります。
(子宮筋腫による過多月経と貧血との戦いです。)

病院・①

病院・①は診療科以外にいろいろな部門もある大きな病院でした。

人生で初めて鉄剤を処方されました。
意識喪失で倒れたため、24時間ホルター心電図をしたところ、若干の不整脈があるものの異常はなく、貧血改善のための通院がメインとなりました。

鉄剤はフェロミアを処方されました。
人生初の鉄剤はMAX量(200mg)
朝・夜・1日2回服用したおかげで少しずつ貧血症状が改善され、困っていた手の痺れが良くなっていきました。
(手の痺れ・痛みは、極度の貧血により酸素が末端までいかないために起こっていたようでした)

貧血が改善されたためか、はじめはなんともなかったのにフェロミアを飲むと気持ちが悪くなるようになりました。
それを伝えると、テツクールという徐放性の鉄剤に変えてくれました。

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【徐放性の鉄剤とは】
薬の有効成分がゆっくり溶け出すようになったお薬。
胃から腸にかけて徐々に鉄が放出されるので胃への刺激が少なく、鉄剤による気持ち悪さを防いでくれる働きがあります。

この薬に変えていただいたおかげで、鉄剤の服用が怖くなくなったのはありがたかったです。

しかし。。。この病院は大きめの病院のせいか予約しても待ち時間は長い。なのに診察は短時間。
次第に鉄剤処方のためだけに通う状況になっていきました。

体調が良くなると鉄剤による副作用のつらさが勝ってしまい、鉄剤に頼りたくないという気持ちが出てきました。

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E.H.

病院・①
処方された鉄剤の服用により貧血症状が改善され体調が良くなってきたため、病院通いをやめることにしました。

病院・②

40歳になり、夫の会社で健康診断が受けられるようになりました。
「通院ドッグ」といって、一日でかなりの項目を検査してもらえます。

この健康診断で貧血と婦人科系の指摘を受けたため、病院への紹介状を貰いました。

大きな病院

今度の病院は、私が住む地域で何かあると救急車で運ばれるような大きな病院です。

待ち時間が特に長く、予約していても1時間待ちは当たり前。
冬の寒い時期に1時間40分待った時はさすがにつらかったです。。。

ここでは、鉄剤の吸収をよくするためのビタミンCも処方してくれました。
(美白につながるかな~♪とちょっと嬉しくなりました。)

しかし次第にこの病院も鉄剤処方のためだけに通う状況になりました。
通う頻度は鉄剤が無くなるころ。。。

しかも、不信感が募ることが何度もありました。
・行くたびに医師が変わっていて、私が一から説明しなければならない
・医師によって言うことが大きく違う
・たまに処方箋を出し忘れる医師もいて、会計の時に発覚し、そこから1時間以上待たなければ処方してもらえない
・全体的に診察と説明が少なく、「もしかして私程度の貧血ではこんな大きい病院では相手にしてもらえない?」と感じるように

このようなことから、この病院から足が遠のいてしまいました。

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E.H.

病院・②
この病院に通わなくなったのは、不信感と共に、私の貧血の程度ではこんな大きな病院に通う必要がないのではと感じたからです。
この病院は高度医療設備による検査や入院治療を必要とする人の医療機関ですので。。。

しかし、そういったこと(もう通う必要がないということ)は病院からは言われませんので、その当時経験不足だった私は印象の良くない病院と感じて通院がつらくなってしまいました。

病院・③

病院通いに疲れてしまった私。
しかし子宮筋腫による過多月経は変わらず、鉄剤を飲まないと貧血で体調が良くないまま。。。

友人に評判の良い近所のクリニックを紹介してもらい、通うようになりました。
近所のクリニック
息子さんに代替わりしたばかりでしたが、しっかりと話を聞いてくれるし、前の病院と違いいつも同じ医師なので安心感がありました。

しかし、何度か通ううち私の貧血は子宮筋腫を取らなければ改善しないと言われるようになり、手術とホルモン治療を勧められるようになりました。

以前の記事にも書きましたが、私は症状が一番強く出るタイプの「粘膜下筋腫」(ねんまくかきんしゅ)です。
しかも、筋腫が大小たくさんあるため、「核出手術」では筋腫が取り切れないので過多月経を改善する効果は低いと言われました。

医師のアドバイスは、手術をするなら「子宮全摘」
そのクリニックでは手術を行なっていませんが、子宮筋腫の手術で定評のある近くの大きな病院を紹介してくれるとも言われました。

当時の私は40代半ば。
頑張れば手術せず閉経まで耐えられるかもしれない、と考えると手術に踏み切れませんでした。

手術とホルモン治療どちらも怖くて拒んでいたため、次第に医師の態度が冷たくなっていきました。

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E.H.

病院・③
子宮筋腫を取って治したい医師と、怖くて踏み切れない私。
だんだんと医師の対応が冷たくなり、顔を合わせるのがつらくなって通わなくなってしまいました。

病院・④

手術もホルモン剤治療も拒んでいたため過多月経は一向に良くならず、それどころか悪化していきました。

仕事でトイレに行けず、血だらけのナプキンの交換が出来ず洋服を汚してしまったことも何度かありました
貧血症状もかなり酷くなり、駅の階段は手すりを使わないとのぼれない。
遅刻しそうでも、4~5歩走ると息が上がって倒れそうになる状態でした。

貧血で階段が昇れないほど苦しい状態

それでも手術を迷っていました。
実は、家族不仲で。。。子供を置いて入院することに不安があったのです。
(今思うと、家族はみな私を心配してくれていたので無駄な不安だったのですが、当時の私にとっては自分の体調以上の悩みでした。)

その悩みを知った母が、セカンドオピニオンとして、また、心理的アドバイスもしてもらえるのでは?と、人格的にも優れた知り合いの医師を紹介してくれました。

この病院も紹介状が必要でしたが、紹介状がないため5,000円を支払って受診を希望しました。

生理出血の酷い日を避けて予約が取れたので、片道2時間半の道中倒れそうになりながらも頑張って受診。
今までで一番しっかりとした診察と診断・アドバイスが受けられ、これまで言われなかった卵巣についても指摘を受けました。

卵巣の一部が確認できない点が少し心配だと。。。
とても不安になりましたが、すぐに何かすべき状態ではなく大丈夫とのことで、しばらくは子宮筋腫に集中することにしました。

その先生は、今までの私の状況を時間をかけてきちんと聞いてくれましたし、子宮全摘以外の方法もアドバイスしてくれました

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医師

「子宮鏡下手術も可能性がある」
(レーザーで削り取る方法。私の粘膜下筋腫に対応)
完全には筋腫を取り切れないが、入院日数が少ないのがメリット。

そして個人的に別の機会にこんなアドバイスももらいました。

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医師

子宮筋腫がここまで酷くなったのは精神的なものも影響していると思う。
気を遣い過ぎる性格では?
つらい思いをためているのではないですか?

私の性格と、ストレスが溜まっていることを言い当てられドキッとしました。
「病気」は「気を病む」と書きます。
やはりストレスは良くないのですね。。。

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E.H.

気持ちを病むことのないよう、自分の性格や考え方のクセを今一度振り返って、マイナス要素をひとつでも多く排除してみようと思いました。

心理的アドバイスのおかげもあり、この先に向けてまた一から考え直す決意ができたのはありがたいことでした。

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E.H.

病院・④
とっても丁寧で信頼のおける先生でした。
しかし片道2時間半の距離では、体調不良の私には通院できないため断念。。。

病院・⑤

4つの病院にお世話になったものの、どこにも行かなくなってから1年程経過しました。

その間、体調はさらに絶不調に。
生理用品を色々探し回り、その当時最強のナプキンとタンポンを併用しても30分が限界。
過多月経による貧血が悪化して、日常生活を送ることも困難になっていました。
月経痛もかなりつらかったです。
過多月経のつらい症状

「こんな子宮ならもういらない。。。」そう思っていましたが、このつらさを知らない周りの人たちからは「子宮を取るのは良くない」と言われ、迷っていました。

しかし、とうとう決意する時が来ました。

クリスマスディナーに出かけた日の出来事で、10年間迷っていた手術を決意することになります。
その時の様子を以下の記事に書いていますので、ご興味のある方はご覧ください。

子宮筋腫発覚から迷うこと10年。しかし決意したら早かったです。

翌朝一番で近所のかかりつけのクリニックに行き、子宮全摘術を受ける意思を伝えました。
(このクリニックは、過去に病院・③として通っていたところです。)

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子宮筋腫を取って治したい医師と、怖くて踏み切れない私。
だんだんと医師の対応が冷たくなり、顔を合わせるのがつらくなって通わなくなってしまったのですが、手術をするならお願いしたいと思っていた病院でした。

12月下旬でしたがすぐに紹介状を書いてくださり、手術に向けて動き出し、手術を受ける病院に新たに通うこととなりました。

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E.H.

病院・⑤
子宮全摘術を決意したため、手術を行なう別の病院を紹介してくれたこのクリニックを卒業することになりました。

病院・⑥

長年悩んだ末にようやく手術を決意し、手術を受ける病院が決まりました。

年末に手術を決意し、年が明けてからこの病院に本格的に通いはじめましたが、子宮全摘の手術を受けるならこの病院が良いと前から思っていました。

ここは子宮筋腫の手術では定評のある病院というのが理由です。
術前や術後の検査で何度も通う必要があるので、自宅から通いやすい場所というのも助かりました。

また、市の病院事業の設置に関する条例に基づいて設置した病院だそうで、地域医療支援病院の承認を受けたり、地域の周産期母子医療センターや災害拠点病院などの機能を有するしっかりとした病院です。

手術を受けた病院

このような立派な病院ですが、紹介状があったため、保険外併用療養費(選定療養費)として5,000円を支払わずに済んだのも助かりました。

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E.H.

また、この病院で子宮全摘をして元気に過ごしている知人がいたこともわかり、より一層の安心感がありました。

大きな病院でしたが予約からの待ち時間はあまり長くなく、毎回きちんと同じ医師が担当してくださり、看護師さんたちもしっかりと対応してくれる病院でしたので、早く手術して健康を取り戻したいと思える毎日でした。

手術は成功し、現在とーっても元気で充実した毎日を送っているので、お世話になった病院・医師・看護師さんたちに感謝しています。

子宮全摘については、術後の体調や生活、そして女でなくなってしまうの?などたくさんの悩みがありましたが、それらについては以下に書いてあります。

信頼のおける病院に出会えたこと

子宮筋腫が発覚してからたくさん悩んで10年も経ってしまいましたが、ようやく子宮全摘を決意し安心して手術が受けられる病院と出会うことが出来ました。

手術を決意するまでに、実は大きな問題が無いにもかかわらず通院をやめた病院もありましたが、最終的に納得のいく病院と出会えて満足しています。

悪い箇所があって病院に行くのですが、その悪い部分だけでなくその人の身体全体にも目を向け、話をしっかりと聞いてくれ、正直にアドバイスしていただけるのが理想ですね。

子宮を取ることは妊娠の可能性を無くしますが、私のように子供を望まない場合には選択肢に入れることも病気改善に良いことだと思います。
しかし、子宮は女性のシンボルですし、子宮を取ることは機能的には問題が無くとも精神面で大きな影響があります。
悲しいことに、お医者さまの中には患者さんの年齢が高い場合、「子宮を取りましょう」と気軽に言ってしまうこともあるそうで。。。
そんな場合には、私だったら安心して手術を任せられないかもしれません。

セカンドオピニオンとしても、安心して自分の身体を任せられる病院・医師を見つけて手術をお願いしたいですね。

10年間手術に踏み切れず日常生活が送れないほどつらい状態になるまで決意できませんでしたが、手術をしてみたら「もっと早くしておけば良かった!」と感じました。
でもそれは、決意するまでに色々経験し、納得したうえで決意できたからだと感じています。

手術を迷っている頃、周りの人たちからは「子宮は大切な臓器。臓器はどれも必要なもの。子宮を取るなんて良くない。いずれ閉経するのだからそれまで頑張って」と言われ、「子宮を取るのは良くないんだ。。。」ととても悩みました。
子宮筋腫による過多月経・貧血のつらさは経験したことのない人にはなかなか分かってもらえませんので、ご自分の意思・病状でしっかり決意してほしいと思います。

現在は通院も大変な世の中ですが、ご自分がしっかりと納得のいく道を進んで欲しいと思います。

子宮筋腫で心身ともにつらい思いをしている人が少しでも楽になるよう願っています。

E.H.

E.H.

20代半ばで卵巣嚢腫とチョコレート嚢胞を手術。妊娠・出産後、10年程して子宮筋腫による過多月経と貧血に苦しむ。悩んだ末の摘出手術で快適な生活を取り戻す。その体験をブログにしました。

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